僕が21歳の時に世界一周に出たわけ(上)

皆様こんばんは!オーナーの西側@メキシコで御座います。 先週開催されたEncounter BBQには、本当に沢山の方々がご来場された様子。

IMG_3755

 

楽しそう。。

参加頂きました皆様、有難うございました!m><m

4月に開催した花見は雨で散々でしたが、笑 今回は天気にも恵まれ、無事開催できて本当に良かった。

IMG_3279

さて、まさしくいま、世界一周ブームですが、僕も実は2009年に世界一周の旅をしました。自分で言いますが、誰にも真似できない、実りあるスリリングな旅をしてきました。6年前の旅の日々を、想いを大切にいまでも心に留めて生活してます。

今回と次回の記事で僕が何故、世界一周に出たかについて、自由勝手に書きたいと思います。ブログ始めたし、いい機会なので、振り返らせてください。

 

世界一周に出たキッカケは二つあります。
①一つは全てを懸けて打ち込んだサッカーが全く結果に繋がらず、
“俺はどれだけ努力したって形にならない”と塞ぎ込んでいた自分を変えたかったこと
②そしてもう一つは20歳の時に、
アメリカはヨセミテ国立公園で世界に触れて、もっと広い世界を見たくなったということ
今回は①の陰日向に咲いた(咲いてない?)高校時代の話をします。

10代の時はサッカーに恋愛に遊びに全力でした。だけど、いつも生活の中心にあったのはサッカーで。著しくサッカーの才能はなかったにも関わらず。才能が無い分野に対してあれほど時間と労力を使うことは僕の人生で最初で最期だと思います。

小学生の時から、毎朝早起きして練習してたけど、僕は小学校のとき、運動が得意な女の子よりも足が遅くて。身長は高いけどヘディングは嫌いなヘタレ選手。笑  適切な監督の判断により、弱小サッカーチームでベンチを温めていました。FWだったのに、公式戦、毎週のようにあった練習試合でも、点を取ったことは何回かしかないくらい、褒めどころの全くない選手でした。特徴がなさすぎて、思い出すと涙が出ます。笑

 

若干12才の私は、FWじゃ一生陽の目を見ないと思って、GKに転向。ここで当時の自分が未熟だったのは、どのポジションに転向したって陽の目は浴びなかったであることに気づいていないことでした。

中学時代の僕はまるで、日本で一番小さな井の中にいた蛙で、サッカーの強豪高校に入学して死ぬほど努力すればサッカー選手になれると本気で思っていた。川口能活みたくなれると本気で信じていました。そのために勉強もして、親に無理言って私立のサッカー名門高校に入学。

 

勿論、サッカー部に入学してからは人一倍努力してみたものの、センスを努力で磨いてきた、実力あるチームメイトには勝てませんでした。更に後輩で日本代表候補にもなるくらい凄いやつが現れ、辛酸を舐めるという。

 

ペットボトルを叩いてチームを応援するためにサッカーしてきたわけでも、この高校に入学したわけでもないのに、と塞ぎ込みながら不完全燃焼で高校生活は幕を閉じる。スポットライトに浴びることは一度もなく、想像していた輝かしい高校時代とは懸け離れた、陰日向で、もがき続けた3年間でした。

 

これだけ努力して何も形にならないんだったら、努力する価値ってなんだろう?と。いまではその答えが出ましたが、当時はもう自分の人生は半ば諦めて、これからもセンスのある人たちを照らすだけの存在になるんだと思いこみ、そして落胆し、綺麗なキャンパスの裏にある雀荘にクソ仲間と入り浸る大学生活がスタート。

高校サッカー部での最後の試合だった、兵庫県高校サッカー選手権大会決勝の舞台でチームが負けた後、共に血を吐くぐらい頑張った20名の仲間たちは、”試合後に涙のロッカールーム”を経験してます。

僕は決勝戦の舞台でベンチからも外されていました。部員は100名くらいいたんだけどさ。言いたきゃないが、周りにいたスタンドにいるメンバーと同じ場所で青春時代の最後を過ごしたくなかった。ゲボ吐きながら走って、泥水を一緒に飲んだ、グランドにいるメンバーと一緒に、大事な時代にピリオドを打ちたかった。

いまでもサッカー部のメンバーで集まって、居酒屋で2,3杯アルコールが入った時に誰かが話し始める、あの日のロッカールームの出来事。あの時監督が泣いてたあの言葉。とか、あいつ泣きじゃくってたよな、とか。

それを聞くたびに、あぁ俺は一生この話を同じ温度感で、目線で語れないんだなと思うと、あの日チームメイトが見た景色や肌で感じた感動や経験を超える何かを成し遂げないと、あの日の俺は一生報われないなっていまでも思う。

 

その想いの熱量が僕を世界一周に向かわせた原動力です。当時は誰も世界一周なんてしてなかったからさ。ウユニ塩湖なんて誰も知らなくて、PCもi-phoneも持たずに旅をした時代。

そう。高校時代にサッカーに没頭して没頭して没頭して、それでも報われなかった自分の弔い合戦なわけです僕の人生。その戦いは高校三年生の秋から始まって、世界一周につながり、総合商社に入社し、Encounterをつくり、いまここ、メキシコでの奮闘生活に繋がるわけです。

努力したって何したって、結果が出ないことと、諸々の不条理さを体験できたことが、いまでも自分の中で最低かつ最高の経験になってるし、いまの自分を突き動かす原動力にもなってる。

そうこうしてると、雨がぴたりと止みました。窓から見える行きつけのタコス屋もシャッターを閉じたので、今日はこれくらいで。

 

次回はヨセミテ公園での日々について思い綴ろうと思います。

 

Chao!

The following two tabs change content below.
ENCOUNTER JAPAN

ENCOUNTER JAPAN

世界中で縁を繋ぎ、縁を生み出す。 私たちは、人と人が集う空間を世界中に創ります。 圧倒的存在感とともに。
ENCOUNTER JAPAN

最新記事 by ENCOUNTER JAPAN (全て見る)

このエントリーをはてなブックマークに追加