メキシコ人シェフ「パコ」とデザイナー「ファン」の研修が終わりました

鹿児島空港から神戸に向かう飛行機の中でこの文章を書いています。(結局、飛行機の中では書き終わらず、後日加筆しています。笑

 

色んな余韻が残る滞在でした。ここ数日間の風景が未だ頭の中で流れています。

 

先日成田に到着して、その足で広島へ、その後は東京を経由して奄美大島、鹿児島市、頴娃町、そして甑島で時間を過ごしました。それぞれの町に魅力があって、それぞれの場所で同世代が各々の場所をより良い場所にすべく変革しようと、知恵を絞り、関係者を巻き込み、仲間を集めて戦っていました。戦友たちや先輩方が想いや使命を実現すべく、それぞれの困難を乗り越えた先に実現させてる世界に触れて、「俺もっとやんなきゃじゃん」ってなる。「中南米と日本」をテーマに僕はもっと、遠く感じる、ネガティブに想われる世界が理解しあって、近い存在になるようにもっと努力し続けなくちゃならない。

 

3ヶ月前、このブログにも書いたようにメキシコ人社員2名を広島と鹿児島は甑島に研修を目的に送り出しました。彼らを受け入れてくれた二社に対してのお礼は勿論、彼らがどのように3ヶ月を過ごしたのかを出来る限り知りたかった。encounterとして、メキシコ人を研修で送り出すはじめての試みでしたが、結果は多くの方々の協力や配慮のおかげで大成功だったと思います。

 

広島で3ヶ月を過ごしたパコは、ますやみそ の舛本社長、ますきちの丸子社長を中心に多くの機会を社内外で与えて頂く中で、悩むこともあったが沢山のことを吸収できたと目を光らせて言ってました。店舗で働くスタッフとの別れの際にはスタッフの方々が涙してくれていたようで、また最終日には「人生で一度も”雪”を見たことがない」パコに対して、雪山へ連れて行って頂きスノボーを体験させて下さったり、宮島に連れて頂いたり、休日には街を案内してくださったり。異国の地からやってきた、少しやんちゃな(笑)パコに対して沢山の愛情を注いで下さった皆様、特にますやみそ 、ますきちの方々には心から感謝しています。正直、僕自身ではまだ全くますやみそ さんに貢献できる販売がメキシコで出来ていないので、もっとやり方も考えて2019年に望みたいと思っています。

 

 

こんなこと書くべきなのかも書いていいかも分かりませんが、僕は実家にいた時も外食は少なかったし、商社マン時代には憧れていた料亭や高級店での会食なんてのも一切存在しなかったので、美味しい食事を食べた経験が非常に乏しかった。起業してからは色んなご縁やチャンスがあり、美味しい様々な料理を食べることや、素敵なサービスを受ける機会に恵まれることが増えてきましたが、何より起業してこの3年間で、ずば抜けて美味しい格別の食事をご馳走になってるのは舛本社長です。「メキシコの日本食といえばencounterになるよう頑張ってね」と言っていつも応援して下さる舛本社長。giveしてもらってばかりなので、早く貢献出来るような会社に、個人になりたいと思っています。もう30歳だぞ俺!頑張らな。

 

甑島ではフアンが山下社長の下で3ヶ月間働いてくれていました。上甑島では1,000人の人口しかない中で、8年前に月の売上が800円だった山下さんが豆腐屋、宿泊施設、飲食業など幅広い事業を行いながら「日本のおいしい風景をつくる」ことをMissionにした「東シナ海の小さな島ブランド会社」を経営されています。

 

甑島。僕も最初は読めなかったこの漢字。KOSHIKIJIMA。人口1,000人、高齢化率50%を超える島。日本の未来が甑島では既に起きてるんです、と奄美大島の講演会で語っていた 東シナ海の小さな島ブランド社(別名: island company)  の山下社長。奄美大島での日々も、学ぶべきことが沢山ありましたが、それより奄美大島のことが改めて大好きになった、そんな滞在でした。今、僕たちがメキシコで運営しているGOENでは「焼酎が欲しい!」という声も多々あるので、奄美の美味しい焼酎の取り扱いも出来ればなんて考えています。奄美大島に将来、居場所づくりが出来れば最高だなぁなんてこともぼんやり思ったりました。

 

出典: 鹿屋 大隅の雑談情報blog・さるっが

爽やかな写真、見つけました

 

12月16日。僕は山下社長やencounter渋谷のスタッフであるペルさん、頴娃町でお世話になった蔵元さんなどと一緒に甑島へ向かいました。串木野港からフェリーに乗って18:00に甑島に到着した後、18:30から地元の公民館でフアンの送別会を実施して戴きました。島に到着した時に、「あぁ帰ってこれた」と心の中で思い出を振り返っていると山下社長が「ようこそ!」と強い握手をしてくれた。ワクワクが加速する。

 

送別会では恐らく30名以上の方々が参加して下さり、会の途中にもかかわらず涙を流す方々がおられて、話す方々全てがフアンとの思い出を僕に語ってくれました。フアンも同時に一人一人との思い出を語ってくれました。フアンは英語も拙いため、今まで伝えたいことがはっきりと伝えれてこれなかったと感じたので、可能な限り一人一人との会話に僕も参加して、通訳してこれまでの想いなどを通訳することに務めました。

 

甑島で長期間、外国人が滞在することは島の歴史上はじめてのことだったようで、島のみなさまも戸惑うことも多々あったかと思いますが、皆様との会話を通じてフアンが愛情を持って接してもらっていたことが自然と伝わりました。

山下社長の弟である、銀さんも「Juanは僕の親友です」と言ってくださったり、奥さんのマユさんも「Juanがいなくなるのは寂しい」と言っている横で、Juanは「甑島での日々は24年間生きてきた中で、一番輝いている思い出だよ」と言ってる最中、甑島の皆様が準備してくれたプレゼントと甑島での日々が纏められたムービーが流れ始めました。Juanが顔をくしゃくしゃにして泣いてる姿をみて「彼にとって甑島は居場所になって、帰ってこれる場所になったんだなぁ」と思ったし、彼の存在でメキシコに興味を持って下さった方々や「行ってみたい!」と思われる国になり、ネガティブな印象を覆すきっかけになったことは、心が震える経験となりました。

 

海外の日系企業で働く方々から聞こえる「外国人には日本人の働き方や考えが理解出来ない」という嘆き。色んな国の方々と仕事してきた中で上手くいかなかったことも多々あったので、僕もその言葉は理解出来ます。けど、僕はきっと日本人から「日本人はこうだ、日本の働き方や魅力はこうだ」と伝えるのではなく、例えば、日本に触れたことがあったり、住んだことがあって日本に対して愛情とリスペクトがあるメキシコ人から、メキシコ人に対して「日本はこうだったよ、日系企業のこういうところが凄い、このやり方を盗んで俺たちもやろう」などといった号令がかかった方が、指導を受ける側からしても腑に落ちるし、理解しやすいんじゃないかと思うんです。日本人の一方的な価値観の押し付けでは、クリエイティブで自発的な考えが生まれない。どの経営者もマネージャーも、「考えて自走するチーム」を欲していると想像しますが、僕は出来る限り色んなメンバーに対してEncounter Japanで働いていたから得れたチャンスや機会を与えることで、そんな会社、チームを実現していきたいと願い、悩み、模索している状況です。

 

今回の研修が、encounter Japanの今後の事業だったり、日本とメキシコの関係において、本当に良い取り組みだったと思えるようにこれからも引き続き頑張らないと。

 

 

30歳になったばかりの小僧が、人生を語るなとビンタが飛んできそうですが、辛いことが降りかかりつつも歯を食いしばりながら日々を駆け抜ける中で、どれだけの人、風景、モノと出会い、それらを愛して居場所にしていけるかが人生なんじゃないかと思うんです。刺激的な出会いや心に焼きつく思い出を、encounterの ヒト、モノ、バショ を通じてどれだけ提供していけるか。自らが提供することで、自分自身も仲間を始めとした周りの人々の人生を豊かにしていきたい。そんなことを考えて生きてる中で、今回のパコ、フアンの研修は現地で一緒に働いた、過ごした方々にとっても二人にとっても、まさに目指してる世界や生み出したい価値を、僅かかもしれないですが実現できた日々だったのかもしれません。

 

改めて、この場を通じて広島の皆様、甑島の皆様に感謝申し上げます。特に、山下社長、舛本社長、丸子社長、マユさん、銀次郎さん、秋山さんを始めとしたどうも有難うございました!2019年も、一名のメキシコ人シェフを日本国内に派遣すべく準備しています。

 

そして東シナ海の小さな島ブランド株式会社と株式会社Encounter Japan/Encounter de Mexico Japonは2019年、新しいニュースを発表します。乞うご期待!

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西側 赳史

西側 赳史

持ち味はモロッコの輪投げ屋生活で身につけた度胸と、本場ラテン仕込みのサルサ。株式会社Encounter JapanのCEOです。
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